【天空の山城と名君の系譜】備中松山藩主・板倉勝澄の生涯と高梁に残る墓所|8代前の祖先から「しゅうまい奉行」へ続く誇り
初代京都所司代・板倉勝重公から時を経て江戸時代中期。板倉家の血脈を受け継ぎ、名城として名高い「備中松山城」の城主となった名君が、備中松山藩板倉家初代藩主・板倉勝澄(いたくら かつずみ)です。
現存十二天守の一つであり、「雲海に浮かぶ天空の山城」として名高い備中松山城(岡山県高梁市)。この地を治め、現在も高梁の地に静かに眠る板倉勝澄公は、実は「しゅうまい奉行」こと株式会社福 代表・福村浩平の8代前の祖先にあたります。
今回は、板倉勝澄の歩みと備中松山藩の歴史、高梁に残る墓所、そして現代へ受け継がれる名君の志をご紹介します。
延享元年(1744年)、板倉家備中松山へ入封
板倉勝澄は、伊勢亀山藩主・板倉重冬の長男として生まれました。
- 備中松山への転封
延享元年(1744年)、徳川8代将軍・吉宗の治世において、伊勢亀山から備中松山(5万石)へと国替えとなり、備中松山藩板倉家の初代藩主となりました。 - 藩政の基礎を築く
山がちで水害や冷害も起きやすかった高梁の地において、治水や農業政策、城下町の整備に尽力。武芸・学問を奨励し、領民の暮らしを安定させるため実直な藩政を敷きました。 - 幕府重職を歴任
祖先・勝重公の血を引く実直な手腕を評価され、幕府においても奏者番や寺社奉行などを歴任しました。
勝澄公が入封して以来、備中松山藩は明治維新を迎えるまで代々板倉家が治めることとなり、高梁の文化や気風の礎が築かれました。
現存天守「備中松山城」を守り継いだ板倉家
岡山県高梁市の臥牛山頂にそびえる備中松山城は、標高430メートルの高所に建つ、日本で唯一現存する山城の天守です。
秋から冬にかけての早朝、城下町を覆う朝霧から天守が顔を出す「雲海に浮かぶ天空の山城」として全国的に知られています。この険しい山城を居城とし、長きにわたり守り伝えてきたのが板倉勝澄公をはじめとする板倉家歴代藩主でした。
高梁の地に静かに眠る:安正寺・板倉家墓所
板倉勝澄公の墓所は、今も岡山県高梁市の城下町に大切に残されています。
板倉家の菩提寺である安正寺(あんしょうじ / 岡山県高梁市向町)の境内には、歴代藩主の墓碑が整然と立ち並ぶ板倉家墓所が設けられています。
- 高梁市指定史跡
板倉家墓所は高梁市の史跡に指定されており、初代藩主・勝澄公をはじめとする歴代の墓石が、城下町の静寂の中で歴史の重みを伝えています。 - 城下町に今も息づく敬意
険しい山間にありながら城下をよく治め、教育と文化を重んじた板倉家の殿様に対する高梁の人々の愛着と敬意は、現代でも色褪せることなく受け継がれています。
家系の系譜:板倉勝重から勝澄、そして現代へ
初代京都所司代・板倉勝重公から、備中松山藩主・板倉勝澄公を経て、現代へと連なる系譜です。
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(歴代)
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備中松山藩 初代藩主・板倉勝澄(8代前)
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(歴代)
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株式会社福 代表・福村浩平(しゅうまい奉行)
初代所司代・板倉勝重公が「17代前」、そして備中松山藩主・板倉勝澄公が「8代前」にあたります。
質実剛健と誠実さ:8代前の祖先から受け継ぐもの
板倉勝澄公が備中松山藩を治めるにあたり重んじたのは、派手な虚飾を排し、領民の暮らしを足元から見つめる「質実剛健」と「誠実」の精神でした。
その血を受け継ぐ福村浩平が、京都・伏見の地で手掛ける「京都点心福」、そして「しゅうまい奉行」のものづくりの根底にも、この精神が息づいています。
- 嘘のない素材選び
注文を受けてから厳選した食材を仕入れる - 妥協なき手仕事
一日450個という限界を自らに課し、一つひとつ真心を込めて手包みする
高梁の山間に名城を守り、領民に誠意を尽くした勝澄公の誇りは、時と場所を変え、現代の京都・伏見で蒸しあがる手包み焼売の一つひとつに宿っています。
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