2025.05.15
四月、桜も終わりを迎え、若葉の息吹が街を彩るころ、空を見上げれば「ピンクムーン」の季節にござる。されど、今春の満月は十三日の夜――空は曇り、淡き光は雲の向こうに霞み、拝むこと叶わず。実に、名残惜しい夜であった。
「ピンクムーン」と申すは、決して月が桃色に染まるという訳ではござらぬ。欧米にて、春の草花「フロックス」が咲き誇る時季にちなみ、そう呼ばれるようになったとか。日本にては旧暦を用いし頃、「卯月の望月」として、やはり春の満月は特別視されておった。
月の名にちなむ菓子と申せば、やはり「月餅」が頭に浮かぶもの。わが「京都点心福」でも、密かにこの月に思いを馳せながら、丹念に作り上げておる。
月餅は本来、中秋節――すなわち秋の名月に供えるものとして中華圏にて重んじられる点心。しかしながら、月という存在が持つ神秘と円満の象徴は、春においても人の心を静かに照らすもの。春に見る満月は、どこか柔らかく、まるで蒸籠に立ちのぼる湯気のように、あたたかき情緒が宿っておる。
さて、当店の月餅は、中国本土のものよりやや小ぶりにし、日本人の口に合うよう甘さを控えめに仕立てておる。中には、白餡、黒餡に加え、栗やくるみ、さらには季節の果実を忍ばせた変わり餡も取り揃えており、手土産としても重宝されておる。職人が一つひとつ丁寧に包み上げるその様は、まるで月の満ち欠けに心を合わせるような、静謐なる作業にござる。
そして、この四月、伏見の厨房にも満月の気配がそっと忍び込んできた。雲に隠れて見えずとも、月の気配はそこかしこに漂い、仕込みの最中にふと空を見上げた折には、心の内に丸き光が灯るようであった。
「満ちる」とは、物事が極まること。「欠ける」とは、あえて空間を残すこと。点心作りもまた同じで、味も形も、余白を見極めることで真の旨味が引き出される。そう心得て、今日も月餅の皮を練り、餡を包む――まさに職人の矜持がそこにある。
また、月といえば、古来より人の想いを重ねるもの。月を見て離れた人を思い、月を仰いで誓いを立てる――それは時代が移ろえども変わらぬ人の営み。点心に託した想いもまた、遠く離れた誰かの心に届くことを願うばかり。
十三日の夜は、残念ながら曇り空であったが、十四夜、十五夜には雲一つない夜空でスッキリお月様が見え申した。見えずとも、確かにそこにある月のように、我らの仕事もまた、表には見えぬ思いと手間が重なりて形を成す。
これからの季節、青葉繁れるなかにも、夜空を見上げれば月は変わらず照らしてくれるであろう。次の満月、そして中秋の名月に向け、さらに精進を重ねる所存。
「月餅」とは、ただの菓子にあらず。季節の心を映し、遠き時代と人の想いをつなぐ、静かなる橋渡し役――。
今宵もまた、心を込めて、ひとつ、ひとつ、月のかたちに包み続ける所存にて候。
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