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2025.12.16
京都点心福の公式ブログ「福福通信」。焼売・餃子をはじめとする中華点心のお取り寄せ情報や、新商品・季節の献立・OEM製造事例などをお届けします。京都から全国へ“点心の今”を発信中。
2025.12.09
小さな点心は、姫林檎のように愛らしく、一粒に旨みと心遣いが凝縮されています。京都点心福の手包み点心は、少量でも満足できる贅沢な味わい。
京都・伏見の地に、突如として現れた時代劇さながらの男──
その名は「しゅうまい奉行」。
中華点心に命を懸け、今日も焼売の真理を求めて邁進するその姿は、
まるで江戸からタイムスリップしてきたかのよう。
京の都と現代が交錯する、
不思議でちょっとユーモラスな点心物語の幕が上がります。
「シュウマイ奉行」と聞けば、誰しも“しゅうまい”を思い浮かべるかもしれません。
しかし──京都点心福が誇るのは、それだけにあらず。
春巻、水餃子、大根餅、えびネギ饅頭……
職人が一つずつ丁寧に包み上げる京点心の世界は、まさに多彩な味の玉手箱。
第二章では、奉行自らが選び抜いた「京都の点心逸品」をご紹介します。
京都点心福では、京都の工房で一つずつ手包みした点心を
冷凍のまま、全国へ直送・通販しております。
焼売・餃子・春巻・饅頭など、種類豊富な品揃えで、
ご自宅用はもちろん、大切な方へのギフトにもぴったり。
この章では、お取り寄せの流れや、便利なセット商品の魅力をご紹介します。
全国の飲食店様・惣菜専門店様・ギフト事業者様へ
京都点心福では、業務用点心のご提供やOEM製造のご相談を承っております。
シュウマイ奉行の名のもと、
小ロット・完全個包装・オリジナル開発など柔軟に対応。
御社のこだわりを職人の技で形にいたします。
仕入れや商品企画でお困りの際は、
どうぞお気軽に「京都点心福」までご相談ください。
奉行と呼ばれる以前──その者は20年余り、中華料理の世界を渡り歩いてきた職人であった。
若き日にはホテルの厨房で腕を磨き、偶然の配属で点心部門へ。
上海料理を基礎に、香港出身の点心師から本場仕込みの技を学び、さらには四川系の巨匠のもとで、辛味の扱いや技術の奥義をも会得。
帰京後は、北京料理や日本独自に進化した広東料理にも身を投じ、中華四大系統すべてを実践的に体得するに至ったのである。

その名を「奉行」と名乗るのには訳がある。
シュウマイ奉行の17代前の祖先は、江戸初期の名奉行・板倉勝重──
大岡越前のモデルにもなった、初代・京都所司代である。
正義を重んじ、民の暮らしを思いやる血が、今も脈々と受け継がれている。


2025.12.16

― 鳳舞の系譜から、いま食卓に届く京焼売まで ―
京都で外食といえば、懐石や京料理を思い浮かべる方も多いかもしれません。 しかし、実際に京都の人々が日常的に選び続けてきた料理のひとつが「中華料理」です。
その中でもシュウマイは、特別なご馳走ではなく、日々の食卓に自然と溶け込む存在でした。 にんにくは控えめ、油も控えめ。 食後に重さを残さず、何度でも箸が伸びる味わい。
派手さはありませんが、静かに、確かにおいしい。 シュウマイは、京都の食文化と非常に相性の良い料理だったのです。
京都の中華料理を語る上で欠かせない存在が、かつて紫明通にあった広東料理店「鳳舞」です。
鳳舞が築いたのは、京都という町に合わせた中華料理のかたちでした。 花街や座敷文化に配慮し、強い香りを避け、油や香辛料を抑える。 その代わりに、素材の旨みと余韻を大切にする料理。
鶏ガラに昆布を合わせたスープ、やさしく整えられた味付け。 その思想を最も端的に表していた料理のひとつが、シュウマイでした。
鳳舞は閉店しましたが、その考え方まで失われたわけではありません。 弟子から弟子へ、店から家庭へ。 京都中華の思想は、形を変えながら今も受け継がれています。
時代が進み、食卓の形も変わりました。 外食だけでなく、自宅で手軽に、安心して食べられる料理が求められるようになった今、 シュウマイは再び日常の料理として選ばれる存在になっています。
京都の焼売は、考え方を守りながら、技術によって暮らしに近づいてきました。
京都のシュウマイは、「特別な日に食べる料理」ではありません。 旅先で出会い、持ち帰り、やがては自宅の冷凍庫に常備される存在。
何でもない日の食卓に、静かに寄り添う一粒。 それこそが、京都らしいシュウマイのあり方です。
京都の中華思想を受け継ぎ、現代の暮らしに合わせて仕立てた京焼売は、 冷凍庫にあるだけで、食卓の選択肢を静かに広げてくれます。
無理のない味、毎日でも食べられる設計。 京都の焼売を、ぜひご家庭でお楽しみください。
京都の焼売は、声高に語られることはありません。 派手な演出もありません。
ただ、続いてきました。 町の暮らしに合わせ、食卓の変化に合わせ、形を変えながら。
料理である前に、文化である。 それが、京都のシュウマイです。